福井市舟橋について​

 黒龍神社が鎮座していたため、この地域は黒龍村(黒竜村)と呼ばれていましたが、天正6年(1576年)、越前領主の柴田勝家は、刀狩りをして、農民から取り上げた刀剣等の武具を農具に代えるとともに、一部で鉄の鎖を作り、その鎖で48艘の舟を繋ぎ、舟橋(216メートル)を作ったとされています。その後、この地域は舟橋という名になったといわれています。舟を繋いでいた鉄の鎖は、福井市の柴田神社に保存されています。

 舟橋は、北陸街道の宿駅として福井から加賀を結ぶ重要な場所であったため、古くから橋奉行が置かれていました。朝倉氏時代には関戸半助、柴田氏時代には福岡七左衛門など、江戸時代になると、四天王家が17代に渡って奉行を世襲したとされています。現在の九頭竜橋のたもとには「四天王但馬守家事蹟碑」が立っています。

柴田神社にある舟橋の鉄鎖

48そうの船をつないだ絵図

現在の橋の様子

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